不思議な経験
と、いうより現在進行形である
ツライ記憶から逃れたいと思いすぎるともうひとりの自分が生まれる場合がある。
最初に話した事を覚えているだろうか?
視点が変わる
自分の腕なのに他人の腕に見えてしまう。
しかし運転は問題なく継続されたまま
これが最初のはじまり
ツライ記憶
将来の夢は働かなくていい楽な老後を送る事
これだけ
しかし、この状況を作るには若い時にそれ相応の苦労をしなくてはならない。
旦那が起業して会社の社長になり将来はその会社の入り口を掃除したりしてのんびり老後を過ごしたいていう夢に共感したので社長夫人になってのんびりした老後を送ろうと決めた。
そして若い時の苦労は私を精神分裂させるくらいの状況を作り出してしまう。
母が居ない事は話したはずだ
祖父が亡くなり祖母が寝たきりになった話も
それはここに繋がる。
私の父は…普通の父親とは少し種類が違うかもしれない。
何もしない人と言えばいいかな
小さい頃、彼からどこかに連れて行ってもらった記憶がほとんどないくらい出不精のぐーたら親父である。
仕事だけはキチンと行っていたけど家の事は何もしない。
それは私が嫁に行っても変わらず
なので嫁に行った後も二日に一度実家に帰り掃除洗濯買い物、2日分の夜ご飯の準備をする生活
往復で約1時間半の距離
当時の私のスケジュールはこれだ
朝6時に起きて家事を終わらせ
朝8時に出勤13時まで働きタイムカードを押す
13時に会社を出て実家の事を終わらせ
17時に会社に戻り22時までサービス残業
実家に帰らない日は朝8時から13時まで働きタイムカードを押してその後13時から22時までサービス残業である。
その状態で給料は9万あるかないか
6万を生活費として渡さなくてはならないので残りは3万円
そんな生活を5年ほど続け私の精神はボロボロになっていた。
離婚したいと何度も何度も思った。
けど、今までこんなになるまで苦労して下積みしてきたのにとなかなか離婚まで踏み切れずズルズルと時間だけが過ぎて行く。
その間私は自己防衛手段としてできたのがもう一人の人格じゃないかと思っている。
名前は青(あお)この名前は息子がつけた名前である。
それまでは別の名前で呼んでいたのだが今はこの方が説明しやすいと思いこれを使おう。
私に別の人格がある事に気づいたのは息子だけだ。
9歳の息子
可愛くて仕方がない。
しかし、それは私だから思う事
息子のいう青いママは息子を蔑み近づくなと言い嫌いだと言う
反対に娘に対しては優しく可愛がっている。
それは私が原因にあると考察する
出産の痛みを二度目で耐えられず変わってくれと思ってしまった私のせいだろう。
入れ替わって15分後すぐに娘が産まれた。
そしてこれもまた車の運転と同じように上から見るような視点で足だけしか見えないような視野になっていた。
私が入れ替わったと感じだ原因はそれだ。
視点と視野の違い。
自分が自分じゃないような状況
まるで他人の事のようなそれ
記憶はある時とない時があるような気がする
気がするとは本当に覚えてない事柄があるからだ。
病院にかかってはないので精神分裂症などという病名はないが多分そうなんだろうと自覚している。
妄想、思い込み、逃げどれかかもしれない。
ただ、息子が青いママと赤いママ、今はどっちのママ?と聞いてくる事だけは事実である。
青いママの時は息子は近づきたくないらしい。
赤いママは大好きと抱きついてくる。
ツライ記憶、ツライ仕事、旦那への不信感
結婚してからずっと生活費をもらえずに子供を妊娠出産と自分が働けない時でさえ生活費をもらえない状況で見かねた父が生活費を出してくれていた。
経済的DVと精神的DVに耐えかね出来上がった人格が青だろう。
同じ仕事場で下積み時代をずっと過ごして働き詰めな毎日
トイレや休憩もままならずひどい時はトイレのドアを開けたまま用をたし、人が来たらすぐ対応しにいくような時期もあった。
限界だったのだ
一人で抱え込むには私の心が弱すぎたのだろう。
キャパオーバー
それで出来た人格の青
彼女のおかげで辛い記憶がその後は少ない気がするので私がキャパオーバーした時に私を動かしていたのが彼女ではないかなと思う。
私が直接彼女と話した事はないし
息子の話と記憶のこぼれ具合や辛い状況が少なくなっていた事などから勝手に導きましたものだけれど